よみもの1

銘酒「萩乃露」蔵元による 鮮烈な一献

福井弥平商店 雨垂れ石を穿つ

2022年9月、福井弥平商店の「呑切り(のみきり)」に参加する貴重な機会をいただいた。呑切りとは、酒蔵が酒の品質管理のために行う年中行事のひとつである。毎年初夏から秋ごろにかけて新酒の貯蔵タンクを開栓し、杜氏と蔵人らが今期の酒質や味わい、香り、出来栄えをチェックするためのものだ。

60種類ほどにも及ぶ銘柄の中で、「これは!」と思わされる一杯があった。トロリとした口当たりで甘みがあるが、この甘さは長く残らず、後味爽やか。初めて飲むわけでもないのに、いつも新鮮な印象を残してくれるお酒。それが「雨垂れ石を穿つ」だ。

新たな挑戦を続ける、老舗蔵元

福井弥平商店は、江戸時代中期(寛永年間)に創業し、270年余の歴史を誇る老舗の蔵元だ。近江高島の豊かな自然と里山、比良山系の甘くやわらかい伏流水、そこで育まれる良質な米。この豊かな土地風土をまるごと写し取ったような、まろやかで上品な味わいの「萩乃露」は、滋賀を代表する銘酒である。
代表取締役をつとめる福井毅さんは、高島へ移り住んで20年以上になるという。
「豊かなところだな、という移住当初の印象は今も変わらない。自然も、水も、人も豊かで実り多く、穏やかです。少々のことでは揺るがない落ち着いた地盤があるからこそ、変化を恐れず、新しい挑戦を許容してくれる土地柄でもあると思うんです」。

台風被害を生き延びた酒米、吟吹雪

「雨垂れ石を穿つ」は、福井弥平商店による比較的新しい銘柄のひとつだ。誕生の発端は、2013年9月の台風18号豪雨災害だったという。高島市一帯が大規模な浸水に見舞われ、栽培されていた酒米の稲の多くが、収穫間近にして甚大な被害を受けた。

その年、福井弥平商店は酒米「吟吹雪」の新たな契約を結んだばかりだった。台風18号に伴う交通規制が解けるとすぐ、福井さんは居ても立ってもおられず農地に向かった。決壊した河川の堤防から流れ込んだ水で町は水浸しになり、周囲の田んぼは泥に埋もれてしまっていた。あまりにも無残な有様に呆然としたものの、福井弥平商店の契約田には、吟吹雪の稲穂が泥に汚れながらもしっかりと立っていた。

「契約農家さんが、いち早く泥を掻きだして米を守ってくださったのだそうです。それを聞いた時は、思わず胸が熱くなりました。しかし一方で、自分たちだけが得た奇跡を手放しに喜ぶ気持ちにもなれませんでした。多くの農家さんが深刻な浸水被害を受けて落胆する中、辛くも生き延びた貴重な米をお預かりすることになったわけですから」と、福井さんは当時の心境を振り返る。

この吟吹雪は、地元の人々の希望を未来に繋いでくれる大切な鍵だ。こうなっては、何としてでもこの米の良さを最大限に表現できる酒を造らねばならない。そこで福井さんが選んだチャレンジは、江戸時代後期に行われていたという「十水仕込(とみずじこみ)」の手法だった。

米の旨味を引き出す「十水仕込」とは

現代の日本酒醸造においては、十石の米に対して1.1~1.2倍量の水を使うのが一般的だ。一方、十水仕込とは、米と水の割合を同じ比率にして仕込みを行う方法のこと。福井さんに、その手法についてご解説いただいた。

「日本酒には、アルコール度数を調整するために水を加える“和水”という工程があります。後の工程でどうせ薄めるなら、初めから多めの水で仕込めばいいじゃないかと思われるかもしれませんが、そうじゃないんですね。十水仕込は、簡単に言うと水の比率が極端に少ない“濃い酒”を造る手法ですが、濃さを保ったまま発酵することが肝要で、この発酵過程においしさの秘密があるんです」。

日本酒の豊潤な香りや風味は、醸造過程で、酵母をわざと低栄養・低温の過酷な環境に置くことによって生まれる。十水仕込のもろみは、通常の仕込みに比べると明らかに濃厚で粘りのある状態で発酵を続けるため、酵母のストレスも、維持管理が可能なギリギリのところまで高まるという。この、通常よりも高負荷の環境で最大限に引き出される米の旨味こそが、他の手法では代わりの利かない十水仕込の真髄なのだ。

「雨垂れ石を穿つ」のリッチで旨味のある深い味わいと、濃密なのに後を引かない爽やかさは、特にオリーブオイルなどの油や肉の脂、あるいは少し癖のある内臓肉にも相性が良い。さらには冷やしても常温でも、また熱燗でもおいしく、各々の温度帯で鮮やかに印象を変えるのも魅力的だ。

感動、興奮、驚きの「!」

台風被害に見舞われた地元の人々の落胆と、災害を生き残った酒米・吟吹雪で繋ぐ希望。十水仕込という古の伝統と、和食にも洋食にも合う革新性。こうして改めて「雨垂れ石を穿つ」というお酒のルーツを訪ねてみると、ますます心を動かされずにはいられない。

感動、興奮、驚きを表す感嘆符「!」は、日本語で「雨垂れ(あまだれ)」と読むそうだ。福井さんが「鮮烈なおいしさ」と称する通り、よく知っているはずの「雨垂れ石を穿つ」だが、飲むシチュエーションが変わるたびに知らなかった一面に驚かされ、鮮やかに“出会い直す”ような心持ちにさせてくれる。

角煮やすき焼きのような和食はもちろん、イタリアンやフレンチ、中華などの濃い味付けにもよく合うのが面白いところ。たとえばアヒージョに、あるいはローストビーフに合わせてみようか……という具合に、自由な発想でさまざまに楽しめるお酒だ。
まだ体験していない「!」の数々を、あなた自身の手で、ぜひ発見してみてほしい。

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